仕事は母ちゃん

どーってことない脳内と日常の垂れ流しです

「褒める」とは何か

母の日だというのに風邪気味のさっこさんですこんにちは。今日は高専の授業参観の日でもあるんだけどね。昨年、参観へ行ったから今年は行かないのである。2年のときも行かなかったしな。次男に聞いたら「参観へ来てもずっとパソコンとにらめっこしてるだけだからおもろないで」と言われたし。まあ高専の専門学科ともなると各々作業を進める形式だから授業の内容が見てるほうにわかるわけじゃないのよね。

さて、今朝方こちらのエントリーを拝読しました。

内容について言及するといくつもエントリーを書かなければならないぐらい書きたいことが山ほどあるので、今回はやめときます。というわけで今回は「褒める」とは何か?についてだけ絞って書こうと思います。

皆さんは「褒める」と聞いてどんなシチュエーションを想像するでしょうか?子供が100点取ってきたとき?自主的に勉強したとき?家のお手伝いをしてくれたとき?確かにここに挙げたシチュエーションでは「良かったね」「えらいね」「ありがとう」という言葉が出てくると思います。しかしどれもこれも私は子育てする上での「褒める」ではないと考えています。だって結果に対しての「褒める」であって子供そのものを褒めてるわけじゃないですからね。それでは子供を「褒める」とは何か。私は子供が自分自身で気づいてない長所を見出すことだと思ってます。

現在小6の四男が幼稚園児のときの話。四男は当時かなりおっとりした子で、男の子と仲良く遊ぶものの、時々ほっとかれることがあるような子でした。IQがギリギリ標準範囲内で何事もテキパキこなすこともできず、覚えも悪いので、親からすると「こんな状態で小学生になってからやっていけるんだろうか」と心配で。でも卒園文集にある先生が四男に対してこんな言葉を書いてくださったんですよね。「四男くんはお友達が泣いているとハンカチを持って急いで駆け寄り、涙を拭いてあげながら『どうしたん、何がつらいん?』と聞いてあげる優しい子です。その優しさを失わないでください」と。ああ、私は四男の短所ばかり見て心配してたけど、先生方はちゃんと四男の長所を見ていてくださったんだなと思ったら親として恥ずかしくなりました。

誰だって短所はありますし、四男よりずっとずっと発達上の困難を抱えてたり体に障害を抱えてる子だっているでしょう。でも、誰にでも短所があるように長所もあるのです。それを見出して潰さないように大事に育むのが大人の役割ではないかと思います。そのためにも日頃から子供の長所を褒めてあげることが大切なんじゃないかな。そして短所について「こうしたら良いんじゃないかな」とアドバイスできるならすればいい。

結果に対して褒めたり叱るのって簡単なんだけど、どちらにしても結果が全てなわけで、そうなると子供によっては「勉強してももっとできる子がいて頑張っても全然結果が出ない。それだったら最初から勉強しないほうがマシ」となってしまいます。よくあるんですよね、兄弟でも持ってる能力が全然違うが故に、能力の低い子のほうが「なんでお前はお兄ちゃんと違ってできが悪いのか」と叱られたり、その子なりに頑張って成績をあげても全然評価されないパターン。10頑張って100の成果をあげる子もいれば100頑張って10の成果しか出せない子もいるので、結果に対してだけ褒めたり叱ったりするのって褒められる子にとっても叱られる子にとっても後々問題が出るのではないかと。

なーんて偉そうなことを書きましたが、何も親だけが長所を見出す大人ではないので、周囲の方々に我が子の長所をどんどん見出してもらって褒めてもらえばいいのです。四男が先生に褒められたように。そして我が子を褒めてくれる方々に感謝をすればいい。夫がよく「近所の方々とお付き合いするのはうちの子がいつお世話になるかわからないから」と言いますが、近所の方々とそれなりに仲良くしておけば我が子のことを気にかけてくださる方が増えるし、そうすれば我が子が褒めてもらえる機会も増えるのです。親自身が周囲との人間関係を円滑にしておけば、子供にとっても良い効果が得られるというわけですね。やっぱり夫は子供を褒めるという点でもよくできた親だわ。