仕事は母ちゃん

どーってことない脳内と日常の垂れ流しです

母親が共感を求める本当の理由を考えてみた

最近、我が家の配達担当の郵便局員がダメなのか、在宅してるのに不在通知をポストに放り込まれてることが多い。今日も買い物から帰ってくると不在通知が放り込まれてました。次男も三男も四男も在宅してるのに!何の郵便かと思ったら長男宛て。昨日「他の人のところには来てるのに、俺にはまだ来ない!あのクソ郵便局が!」と喚いてた郵便物でした。一応今日再配達してくれとネットで申込んだけど、頼むからすぐ出てこないからって帰らないで欲しいと思うさっこさんですこんにちは。以前はこんなことなかったんだけどなあ。

さて、先日書いたこちらのエントリーにポン助さん(id:mikiponnsuke)からコメントをいただきました。

私の場合も、解決方法がない、もしくはあってもそれを選ぶためには新たなストレスを背負い込む可能性がある。かもしれないことから、せめて共感を求めて、結果自己肯定感を高めることで、気持ちを落ち着かせることがあります。

母親が共感を求める本当の理由 - コメント

おお…ブログに書いてみるものですね。私には思いもつかないコメントをいただき、感謝感激です。このコメントを元に共感を求める母親達の心情を考察しつつTwitterに書いたのですが、今日はそれをまとめてみます。

何故共感で自己肯定感が高まるか

子育てって基本的に誰にも褒められるものじゃないです。日常生活の中でこなさねばならないタスクのひとつに過ぎないからです。一々「ご飯をひとりで食べられるなんてえらいね」と褒められたりしないでしょう?そういう褒め方をされるのはそれこそ子供だけなのです。勿論、労ってもらえることはあると思うんですけど、褒められたりはしない。

じゃあ育児で自己肯定感を高めるためにはどうしたらいいか。他の母親と比較するしかなくなるわけです。「私と同じことで悩んでる人がいる、つまり私は他の母親と比較して劣ってるわけではない」と確認することで安堵する。つまりマイナスポイントがないことが自己肯定感に繋がるというわけです。だから私が「共感」と思ったものは共感とは微妙に違うのですね。自己評価のために自分と同じ立場の母親を求める、と言ったほうが正しいですね。

彼女達にとっての自己肯定感とは

自己肯定感は本来自分を大事に思う気持ちであり、そこから他人を尊敬したり信じたりできるようになるわけです。つまり自己肯定感と他者肯定感はセットになってるんですよね。ところが他者より劣ってるわけでないとわかることで得られるものは一時的な安心感です。自己肯定感とは程遠い感情ですね。つまりこれは自己肯定感ではなく、単に自分を評価して欲しいと思う気持ちの現れではないか、と思いました。母親としての自分を評価して欲しい。なんでこんなに頑張ってるのに評価してもらえないのか…という感じなんでしょうか?

実は私にはこのあたりがよくわからないんですよね。子供の誰ひとりとして同じ子がいないように、母親だって誰ひとりとして同じ母親はいないんですよ。だから子育てに正解はないと言われるわけです。正解がないものを評価できるわけがない。私からしたら「生きてるだけでも評価して欲しい」と言われてるようなものです。労ってくれる人がいなければつらいけど、それだけで評価にいきなりシフトするのはちょっと考えられないです。そこは助けを求める方向へいくんじゃないかなあ。

何故そこまで母親としての評価を求めるのか

その推測からさらに推測を重ねてみるわけですが。評価を求めるのは評価されることが当たり前の社会で生きてきたのではないか?と考えられます。親から常に正しさを求められていたとか。となると評価されないと不安で仕方ないのではないか。もしそうなら評価を求める気持ちも納得できます。できるけど、これだと家庭でくつろぐなんて無理ですよね…。でも正しさだけを求められ続けていたなら、正しいと認められないと安心できないか。

私の場合

実は私にはあまり評価を求める気持ちはありません。評価を求めるなら何が何でも専業主婦にはなりませんでしたよ。勿論、専業主婦であっても地域活動など色々なことに参加して評価されることはありますけど、仕事はわかりやすく評価してもらえる上におちんぎんまでゲットできますからね。辞めるメリットなんて何一つない。そう考えると子育てはともかく、専業主婦に向いてるタイプだったのかもしれませんね。