仕事は母ちゃん

どーってことない脳内と日常の垂れ流しです

育児中に求めるものの違い

今日は録画していた映画「蜩ノ記」を見ました。なんだか清らかすぎる人達ばかりで、見ていたら自分が汚いもののように思えてきたさっこさんですこんにちは。まあドロドロした映画よりはいいけど、自分は自分のことだけしか考えてなさすぎぃ!とぺしゃんこに打ちのめされた気分ですよ。

そんな生き方というか感性というか、そういう違いを感じたことがつい最近もありました。こちらのエントリーなんですけどね。

このエントリーに対する私の感想がこれです。


同じ夜泣きに悩む者同士が集まっても、結局打開策がないという絶望しかない、というのが私の正直な気持ちです。どうしてそんなことで救われるのか。Twitterというのは便利なもので、その解答を得ることができました。
自分だけがつらい思いをしてるわけじゃないとわかるだけで救われる人がいるんだ!と目からウロコが何枚も落ちました。その発想は全くなかった。でもこれで「Twitterで育児のつらさから救われた」とおっしゃる方が散見される理由がわかりました。そりゃつらい思いを吐き出してる人が多いですもんね。ものすごく納得した。

私の場合は直面している問題を解決するか、回避する方法がわからないとダメなんですよね。つらさを共有しても何も解決しないから私にとっては意味がない。だからちょいちょい「俺が寝かしつけてやるからさっさと寝ろ」と言ってくれる夫だけが頼りだったわけです。夫が寝かしつけを交代してくれることで夜泣きによる寝不足を一時的とはいえ回避できてましたからね。夫が手を貸してくれなかったら、育児放棄しかねなかったなあ…。

よく考えたら私は元々共感を求めることがあんまりないタイプでした。人付き合いが苦手でひとりでいることに慣れてたのもあるんでしょうけど。逆に言えば共感を求める母親達とはあまり合わないわけで、個人的に親しいママ友ができなかった原因はこれかと納得したさっこさんなのでした。