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仕事は母ちゃん

どーってことない脳内と日常の垂れ流しです

我が子が大人になるということ

三男が期末テスト勉強をしてる横でこのエントリーを書いてるさっこさんですこんにちは。その三男のクラスはまだ1年生だというのにすでに自主退学した子がおります。発端は1学期の中間テストが終わった日。テストが終わって浮かれた一部の子達が居酒屋に繰り出して飲酒しちゃったんですよね。まあそれだけならばれずに済んだかもしれないんですが、そのうちのひとりがご丁寧に学校名を叫びながら騒いでたらしく。アホだろ…。当然その場に居合わせた子は全員停学処分になったんですが、そのうちのひとりが学校と揉めまして「辞めてやる!」と退学しちゃったというわけです。生徒が反抗するのはまだわからんでもないんですが、なんで親が制止しないの?と思ってしまった。他の生徒の家庭では親が激怒してえらいことになったって話なのに…。うーん、世の中わからないことだらけですね。

さて、親になってからずっと考えてることがありまして。それは「子供が大人になるのはいつなのか?」という疑問です。生まれたときは立ったり歩いたりすることはおろか、何も持てず言葉も発することができず寝返りひとつできず、まるで寝たきり老人のようです。それが次第に自由に動けるようになり、言葉も操れるようになり、意思表明もできるようになります。そして中学生ぐらいになると体格的には大人と全く変わらないほどに成長します。しかし中学生はまだまだ子供。義務教育期間中ですしね。では大人だと言い切れるようになるのはいつなのか。それについて私なりに基準というのができました。それは「親離れ子離れができたら大人」というものです。

親離れ子離れができた、というのは精神的に親から独立できたということ。ひとり暮らしのように親から物理的に距離を取ることを指しません。その精神的な親離れ子離れを最近次男に関して実感できるようになってきました。まず親側の話ですが、叱ることがなくなってしまいます。意見したり話し合うことはあるけど。手をかけることが全くない。勿論まだ未成年で働いてないですから金銭的援助など親としての責務はありますが、それ以外に親がすることはなーんにもない。本当に何にもないんです。この身軽さ。背中に羽根が生えたようだわ~。

一方、次男側の変化ですが。親がなーんにもすることがないということは、自分で決断して動けるようになったということです。勉学についてもそうですし、人間関係などその他諸々。中学生ぐらいの頃は「どうすればいいんかな」と最初から親に丸投げの相談が多かったけど、もうそういうことがなくなって「これこれこういう風にしたけど、これで良かったんかな」と感想を求めるのみになってきました。

そして一番大事なこと。次男が私を労ってくれるようになったことです。昔はそんなこと全然亡かったんですよね。そりゃあお礼ぐらいは言われましたが、気づかいを見せるようなことは私の体調が余程悪いとか、そういうときしかなかったんですよね。親を親という生き物として見るのではなく、親をひとりの人間として見られるようになった証拠でしょう。

ともかく親がいなくても問題なく行動できるようになったこと、親を甘える対象としか見てなかった時期を卒業したこと、これで次男はもう精神的には大人になったと言っていいのではないかと思いました。まだ成人してないけど。では子供としての私はどうなのか。これがね、大人になったかなと思えるようになったのは極々最近になってからです。あれほど実母を嫌悪してた私ですが、あれは嫌悪という名の執着ですね。それを捨てきれたのは自分が親になってかなり経ってからの話です。

というわけで、次男は私よりはずっと精神的に大人だし、親がいなくても周囲の人々に助けを求めてちゃんとやっていけると思ってます。そしてそこまで成長してくれたことに感謝。さあ、後は三男と四男だ。もうしばらくは親としての役割を放棄できなさそうです。