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仕事は母ちゃん

どーってことない脳内と日常の垂れ流しです

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義父の人生は波瀾万丈

家族

今日は久々にちょっと寒いなあと思ったら、明日はもっと冷え込むみたいですね。というわけで四男に「さすがに上着準備して明日は着て行くように」と言い渡したら「俺は!12月になるまで!着ない!」とのたまいました。なんで小学生ってこういうどうでもいいところで頑張るのかしらん。頑張りどころはそこじゃないだろ、勉強頑張れよと思ったさっこさんですこんにちは。

さて、その四男が生まれる1年前に亡くなった義父のことを今日は書こうと思います。昨日三男が夫に「おじいちゃん(義父)って若い頃何してたん?」と尋ねていたので。三男が3歳のときに義父が亡くなったわけだけど、三男は義父の記憶がほとんど残ってないらしい。だから写真でしか義父のことを知らないんですよね。さすがに長男はもう小学生だったので覚えてるけど、次男も記憶があやふやなんだと。月に一度は一緒に出かけてたし「おじいちゃん、おじいちゃん」とそばに寄って行ってたんだけどなあ。

とまあ前置きはこれぐらいで。義父は大正11年に今の四国中央市に長男として生まれました。ところが小学生のときに母親が病死しまして、そこからが苦難の始まりでした。父親が穀潰しだったんですよね。9人兄弟だったのでたちまち生活は困窮。そこで尋常小学校を卒業してすぐ、義父は和菓子屋へ丁稚奉公して実家へ仕送りすることになりました。昔は数え年が基準だったみたいなので、11歳ぐらいから一家を支えるために働いていたことになります。ということは今の四男と同じ年頃。まだ幼児っぽさが抜けてない四男を見てると、そんな年頃から家計のために働くとか本当に考えられません。まあ和菓子屋で働くと言っても最初のうちは子守り担当だったそうですが。

小学校を卒業しただけで学がない義父はこのままでは食べていけないと志願して軍へ入隊することになります。昔の貧困層は食べるために入隊する人って多かったんでしょうね。学がなくても手っ取り早く稼げるしお国のためという大義名分はあるし。国としても願ったり叶ったりだったのでは。富国強兵ってこういうことなのねぇ。

しかし入隊した時期が悪すぎた。当然のことですが義父は戦地へ赴くことになります。そして戦死することなく終戦を迎えるのですが、本当の地獄はここから始まりました。シベリアの強制収容所へ連行されて悪条件下で働かされることになるのです。後年、義父は「戦時中より戦後(強制収容所での生活)のほうがずっとつらかった」と夫に語ったそうです。

「生きてる人間と死んでる人間を見分ける方法はノミ」と言っていた義父。生きてる人間にはノミがいるけど、死んでしまうとノミはいなくなるから。そしてつるはしも刺さらないような凍土になんとか穴を掘って亡くなった人を埋葬する作業も生き残った人達でするのです。これで心が荒まないほうがどうかしてるという生活です。常に死と隣り合わせの生活なのだから。そして作業のほうですが、マイナス30度以下になると寒すぎるということで休みになるとのこと。そこで義父は毎朝温度計を見て「マイナス30度以下になれ」と祈っていたそうです。マイナス30度ってどんな寒さ…?と思ったらこんな記事が。

なんかマイナス30度にしては薄着じゃね?と思ったんですが、どうやら湿度が低いので着込めばなんとかなるらしい。湿度の高いところだとマイナス10度でも体の芯まで冷えるとか。湿度怖い…。

ともあれ、それでも志願して入隊しただけあって体が頑健だったのか、義父はどうにか生きのびて帰国して義母と結婚します。お陰で私も夫と出会うことができたし息子達も生まれたわけですが。それから工具の製作や修理を学んで独立し、地元を離れて店を持つことになります。それが今、義兄と夫で経営してる店になります。そして5人の子供に恵まれ、ようやく穏やかな生活ができるようになりました。

しかし学のない義父は学びたいという欲求がずっとくすぶっていたのか、ある程度息子達に店を任せられるようになると独学で書道、俳句、絵画を学び初めます。そして色々なコンクールに出品するようになる。そんな義父の書道作品が我が家の座敷に飾ってあります。この写真がその作品の一部です。

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とても独学で学んだとは思えないでしょ?義父が晩年幸せだったのはそうなる努力を怠らなかったからに他ならない。他人に認めてもらうための努力ではなく、自分の糧にするための努力です。努力とは自分のためにするものだ、というのが義父の人生をたどっていくとよくわかります。

終わりよければ全て良し、と言うけれど、あまりにも過酷な義父の半生を振り返るとこれでは収支とんとんとはいかないだろ…と思ったりします。戦地から帰ってきても軍にいた期間が数ヶ月足りなかっただけで恩給ももらえず、竹下登氏が総理大臣だった時代に賞状と銀杯をもらっただけ。まあぶっちゃけた話切り捨てられちゃったんですよね、国に。

でもあの時代、義父のような人はゴロゴロいて、今では考えられない辛酸をなめてきたんだろうなあ。私なんて義父と比べると苦労のくの字も経験してないに等しい。まあ要らぬ苦労なんてしないほうがいいわけで、そう考えると今は昔よりは随分いい時代になったなあと思うさっこさんなのでした。