読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

仕事は母ちゃん

どーってことない脳内と日常の垂れ流しです

母親になれたなと実感したとき

ようやく二学期が始まりました。とは言っても今日は午前中のみなので、昼ご飯の支度はしなくちゃなりませんでしたが。まあ通常モードに戻ったら戻ったで、三男のお弁当作りが待ってるので、いいこと尽くめなんてないよなあと思うさっこさんですこんにちは。特にお子さんが受験生の親御さんはこれから正念場ですね。頑張ってください。

さて、このブログのタイトルは「仕事は母ちゃん」なわけですが、これは自分が本当の意味で母親になってないと思うからこのタイトルにしたわけです。産んだら母親としての責任を負うことになるけど、子供が心の底から私を母親として認めてくれるかどうかはまた別の話。幼い頃はともかく、はっきり自己主張できるようになると反発して口も聞いてもらえないこともあるかもしれません。それでも育てなければならない。仮に産んでから子供を手放したとしても、産んだことはなかったことにはできません。次男が中学生の頃、同じ部活だった子のひとりが幼いうちに養子に出された子なんですが、彼は産みの親のことを「会えば殺してやりたい」と言っていたそうです。産みの親の顔も覚えてないのに。この世に命を生み出したら、そのことからは逃げられないのです。

ともあれ、自分自身が控え目に言っても親とあまり良好な関係を築けなかったため、覚悟を決めて産んだものの心はぐらぐらと揺れまくりでした。正直今でも揺れてる部分があります。末っ子の四男はまだ小5で未知数の存在だし、三男は高1でようやく自分の将来を本腰入れて考える年になったばかりですしね。それでも最近は昔より随分楽になりました。長男と次男が親離れしたなあと思うようになったからです。というのも長男も次男もはっきりと「母さんには感謝してる」と言ってくれたのと同時に「でも小さい頃これこれこういうことをされたけどあれは虐待だと思った」と冷静に私の批判をしてくれたからです。

親子喧嘩のときに「このクソババア!」などと言われるのは罵倒に近いものなので、批判は違います。普段の会話でさらっとそういうことを言われたときに「ああ、私もやっと母親になれたんだなあ」と思いましたよ。まず親に直接批判できるってことは、親がそれをちゃんと受け止めてくれると思えなければ言えないものです。つまり息子達から信頼される存在になり得たということです。そして感謝の気持ちを伝えてくれたということは、欠点もひっくるめて親のことを受け止めてくれたということ。つまり精神的に親と対等な人間に成長した…親離れが完了したということなのです。

勿論、長男は社会人としてはまだ駆け出しだし、次男に至っては学生です。それでも精神的に独り立ちしてくれたことで本当に肩の荷がかなり軽くなりました。そしてちょっぴりですが自信もつきました。四男がそこまで成長するのはまだまだ先の話だけど、一度通った道なので何かあっても逃げずに向き合っていけるかな。先も見えてきたしね、うん。