読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

仕事は母ちゃん

どーってことない脳内と日常の垂れ流しです

MENU

概念としてのお母さん

いろいろ

昨日、買い物リストをスマホでメモろうとしたんですが、入浴剤を切らしてたので入力しようと思ったのに「入浴剤」という言葉がどうしても出てこない。その結果、ひねり出した言葉が「温泉の素」だったさっこさんですこんにちは。「温泉の素」ってなんだよ。まあ間違いとは言い切れないが「入浴剤」という言葉が出てこなかったことがショック。そんなに老いぼれたのかよ自分。

さて、そんなショックを引きずりつつ今朝見かけたツイートがこちら。

このツイートを見て思いだしたのがこちらのエントリーです。
お母さん的な存在に縋りたい、癒されたいという気持ちは誰にでもあるんだなあと。

私にとっての「概念としてのお母さん」は夫です。この前の日曜日、夕方やることが多すぎて私はイライラしてました。昔ならイライラするほどでもない家事量だったのですが、更年期のせいかとにかく思うように動けない。昔と比べると格段に段取りが悪くなってイライラが募ってつい息子達にきつい物言いをしてしまいました。すると夫が「どうしたん?何をそんなに怒ってるんよ、言ってみ?」と声をかけてきました。これだけで私のイライラはすーっと治まりました。夫の声かけ効果恐るべし。

この前、夫は私の怒りのストッパーと書きましたが、お母さん的な存在だからこそ為し得る技なのでしょう。そう、別に概念としてのお母さんは女性である必要はない。近しくて自分の心を和らげてくれる存在ならなんだっていいのです。これを依存なのでしょうか。でも周囲に迷惑をかけずに済む依存なら、相手が自発的に自分にかまってくれるなら依存でもなんでもいいやと開き直っております。

一方、夫の概念としてのお母さんは誰だろうと考えたとき、それは私じゃないかと思ったりします。義姉達が私に「さっこさん、よくあんなの(夫)と一緒にいて辛抱できるなあ」とよく言うんですが、夫の異常なほど子供っぽい面を受け入れてるところが夫にとっては概念としてのお母さんに当たるんじゃないかなと。夫婦で足りないところを補いあうというのは、互いが互いのお母さんとして機能することなのかもしれないなと思うさっこさんでした。