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仕事は母ちゃん

どーってことない脳内と日常の垂れ流しです

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「可愛い」という無責任な感情

いろいろ 自分のこと 育児

四男のめばちこですが、もう腫れも落ち着いてちょっとしこりが残るのみとなりました。というわけでひとまず安心したさっこさんですこんにちは。しこりが小さくならないようだったらまた通院ですけどね。

さて、昨日拝読したこちらのエントリー。
元々子供と接する機会がほとんどなかったのかしらん(故に子供が苦手、もしくは嫌い)とは思うけど、それも的外れかもしれません。他人の心中なんていくら言葉を尽くして語ってもらっても正確に把握しようがない。自分自身の心すら把握してるわけじゃないのに。ただ、我が子が可愛いと思えないのは私も同じでした。

何度か書いてますが、幼い頃の息子達が可愛いと思えなかったのは言葉での意思疎通ができないからだと考えてました。確かにそれもひとつの理由だったと思います。でもこのエントリーを読んでそれだけでないことに気づきました。幼子というのはまだ自分の意志すらはっきりしておらず、身の回りのことも自分でこなせない、まだ成長途上の生き物です。親はその生き物に自活するための方法を教え、社会のルールを教え、その命に責任を持たなければならない。それが私には重荷だったのだろうなと。

元々子を成すまでほとんど子供という生き物と接したことがない私が親になるのは荷が勝ちすぎてたのかもしれません。しかし夫はその経験が豊富で私が頼むまでもなく我が子の面倒を難なく見てしまう人。本来なら大変助かるしありがたいことですが、夫が完璧に近いが故に自分が親としてあまりに見劣りしすぎて自分はダメな親だと自己嫌悪していたのでしょう。経験に差があるのだから接し方に差があるのは当たり前なのですが、目の前にいる頼りなげな生き物は私が未熟だろうがなんだろうが私しかいないときは私に頼るしか術がない。そこに焦りと不安があったのでしょう。

そんな状況で我が子が可愛いと思えるのか?なんとか育てないと、という気持ちしかありませんよ。可愛いと思う余裕なんてなかったです。息子達が大きくなり、長男が高校生になって心の底から可愛いと思えるようになりましたが、あれはもう自分の意志で自分の人生を歩み始めたという安堵からきたものなんでしょう。息子達が自分の手を離れて初めて可愛いと思えたわけです。もう彼らに責任を持たなくていい時期が近づいてる。そんな無責任さが産んだ感情、それが私にとっての「可愛い」だったのです。ああ、だから祖父母は孫が可愛いと思うのね。もう何の責任も持たなくてもいいから。

勿論、我が子への責任を感じつつ可愛いと思える人もいるのでしょう。それはとても素晴らしいことだけど、私はそこまで人間ができてないようです。まあそんな情けない人間でも必死で育てていたら我が子から「感謝している」と言われるんだから、可愛いなんて思えなくてもいいんじゃないですかね。私は親になったのではなく、親としての役割を与えられたのだと今では思ってます。