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仕事は母ちゃん

どーってことない脳内と日常の垂れ流しです

「嫌い」という感情は悪ではない

先日、夫がトイレから出てきた四男を「わっ!」と驚かせ、思わず逃げた四男が引き戸の敷居に躓いて転んでしまいました。「もうお父さんなんて大嫌い!」と大泣きですよ。夫は「ごめんごめん」と謝ってたけど「大袈裟に痛がるんだから」とこそっと言ってたのを聞き逃さなかったぞ。全然反省してねぇ…。四男が不憫じゃ。

さて、そんな「嫌い」「むかつく」「うざい」という感情ですが。こういう感情を持った対象を悪だと思ってる人が多いように思います。例えばこういうのが典型的な例。

「嫌い」という感情を持つのは不思議なことじゃありません。誰にでも好みというものがあります。しかし自分が嫌いなものを誰もが嫌いとは限らないわけで。当たり前のことなんですけどね。それなのに「販売停止しろ!」と言うのは、どう考えても嫌いなものが悪だと思ってるとしか思えない。それは何故なのか。

ここから先は推測になりますが。考えられるのが「嫌い」という感情を否定されて育ったのではないか、ということ。「私は○○が嫌い」「そんなこと言っちゃいけません」と常に「嫌い」という感情を親に受け入れてもらえなかったのでは、ということです。「嫌い」であること自体は対象が人であろうが物であろうが否定する必要はありません。「嫌い」だからと言って相手を傷つけてはいけない、自分が嫌いな物でも好きな人もいる、ということを教えるのが教育というものでしょう。でも「嫌い」を否定されたら「嫌いと思うことは悪いことなんだ」と考えるようになっても不思議ではありません。そのために嫌いなものを世の中から消し去ろうとするようになったのではないか。

また、思春期を乗り越えるまでは嫌いなもの=悪だと考える子は結構多いものです。何故なら嫌いなものは自分の心に不安を植え付ける対象だからです。だから「嫌いな子をいじめる」ということが横行するわけです。ここら辺は先に書いたように「嫌いだからと言って傷つけてはいけない」と教えるところですが、ただ単に「いじめはダメ」と教えると嫌いという感情を抑圧するだけになってしまいます。相手に嫌いなところがあったとしても、良い面もあるんだよ、嫌いというだけで相手を全否定してはいけないんだよとじっくり教えていかなければなりません。そういう教えを受けて、子供は大人になり、嫌いな人とでも最低限の付き合いはできるようになるのです。そうしないと、嫌いな人とどうしても一緒に仕事をしなければならなくなったとき、仕事に支障をきたしてしまって周囲に迷惑をかけることになりますからね。親戚付き合い、ご近所付き合いなども同じことです。無論、危害を加えられた場合は話が別ですけどね。

と言うわけで、大人なのに心が成長しきってない人が多くなってきたのかなあ、などと考えてます。ちょっと前に話題になった萌え絵騒動だって同じことです。萌え絵が嫌いだからと言って萌え絵を好きな人まで全否定する方向に話をもっていくのはまるで幼児が駄々をこねているかのようです。知恵だけは子供よりあるから一人前に理屈はこねてますけどね。