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仕事は母ちゃん

どーってことない脳内と日常の垂れ流しです

実母の死に思うこと

これから中学校と小学校の個人懇談ダブルヘッダーが控えてるさっこさんですこんにちは。子供の頃より親になってからのほうが憂鬱で仕方ない。自分のことでもないのに学校まで足運ばなきゃならないのもつらい。自分のことなら何言われても平気だけど、我が子のこととなるとね…。そしてもうすぐ冬休み。あ、長男は29日まで仕事だけどね。どんまい。

さて、我が家では今年大きな出来事がふたつありました。一つは長男の就職、二つ目は実母の急死です。彼女の死から約半年、まだ事後処理が残っていて年内にどうにか片付く目処はついたのですが、ここまでくるのが長かった。銀行口座にゆうちょ、全部凍結されたんだけど、銀行とゆうちょだと必要な書類が違う!なんで統一されてないんだ。実父とは離れて暮らしてるのでやり取りは電話なんだけど、要領を得ないのでゆうちょに直接問い合わせたりとホンマ疲れた。窓口でOKでたのに、センターから書類不備だと送り返されるってどういうことなの。しっかりしてくれよゆうちょ。そう何度も書類揃えるために役所に足運ぶ時間を取れない人も多いだろうに、こんなんで大丈夫なのか。

そんな実務的なことはさておき。実母とは色々確執があることも以前書きました。私、よく考えてたんですよ。自分がどんな風に実母の死を受け入れるのかと。で、実際亡くなってみると悲しさも喪失感もない。じゃあ死んで清々しただとかやっとこれで解放されると安堵するかと思ったらそうでもない。ただ「ああもういないのか」と思うだけ。うっかり亡くなったのを忘れて年賀状を書かないと、なんて思ったぐらいには何も感情が湧いてこない。

ずっと彼女の存在が私を抑圧してるように思ってたんだけど、本当はそんなことなかったんだ。確かに子供の頃はそうだったろうけど、大人になってからは違ってたんだ。自分の中に実母の虚像を作り上げて勝手に自分の心を抑圧してたんだなあと。だから亡くなってもなんの感情も湧いてこない。私の鬱屈は私自身が原因だったわけです。何故そんなことになってしまったのか。恐らく無意識なんでしょうけど、大人になってなお、母親に自分を全面的に受け入れて欲しいという感情がくすぶっていて、そのかなえられない望みが虚像を作り上げていたのでしょう。情けないことですが、自分で思ってた以上に母親という存在を渇望していたようです。

そんな私が母親としてどうあればいいのか。いまだにわかりません。自分の心の渇きがどうすれば癒されたのかすら答えがでないのですから。でも息子達の心の声に耳を傾けなければならないことだけはわかります。そして私の母親としての有り様が良かったのかどうかは、息子達が評価を下すでしょう。その評価を真摯に受け止めなければと思ってます。