仕事は母ちゃん

どーってことない脳内と日常の垂れ流しです

親にしてくれてありがとう

運動会は終わったんですが、それと同時にこちらの小学校では陸上練習なるものがあります。4年生以上の学年を対象に、放課後50m走を練習するのですよ。地区の陸上大会に出場する子を選抜するためのものでもあるんですけど、下校時間が5時半になるので子供は大変です。四男は7時半から祭りの練習もあるので、下校時間になったら学校まで車で迎えに行きますよ。でないと宿題が終わらない…。小学生も大変よのうと思うさっこさんですこんにちは。

さて、今朝こんなツイートをしたらちょっとした反響がありました。

よく3歳ぐらいは可愛い盛りと申しますが、以前から言ってるように断然大きくなって言葉が通じるようになったほうが育児は楽しいですよ。でもそんな私でも思い出の中の幼い息子達は可愛いのです。それは何故か。長男を例に挙げれば19年間、ずっと一緒に暮らして少しずつ、本当に少しずつ心を通わせることができるようになってきたわけですよ。戦友のように。幼なじみのように。そういう長い歳月の積み重ねがあるからこそ、思い出の中の長男は可愛いのです。もし今の記憶そのままに長男を出産した頃まで時間を巻き戻したら、将来こんな子になるんだというのがわかってるので、鷹揚に受け止められると思うんですよ。大きくなった長男というフィルターを通してのみ、幼い長男は私の中で可愛い子と映るのです。

しかし四男になると若干状況が変わってきました。四男が産まれたのは長男が小3のとき。だから長男の幼い頃と四男を重ね合わせて「可愛い」と思うことができたんですよね。四男そのものが可愛いと感じてるわけじゃないので大変申し訳ないんですが、恐らく孫が可愛いというのもこんな感覚なんだろうなあと。年配の方が「可愛い盛りだね」というのは、今の我が子を通して幼子を見てるからなんじゃないでしょうか。少なくとも私にとってはそういう感覚です。

ただ、現在子育て真っ最中で毎日がギリギリモードの方にはこの心境はわからないと思います。だって大きくなった我が子の姿なんて想像できないんですから。私も長男のときはこの子がいずれ大人になって社会人になるんだというのが全く想像できなくて、気が遠くなってたものです。それでも子供はいずれ大きくなって親より強くなる。親がどんどん弱っていくのと引き替えに。もう人見知りが激しくて、私の陰でシクシク泣いてた長男はどこにもいません。社会人になり、力も私よりずっと強くなり、私にはない知識をいっぱい蓄えています。

その成長ぶりを実感したのはお盆休みのときでした。義姉が就職祝いにとサプライズで会食の席を設けてくれたのですが、その席で長男が立派な挨拶をしたんですよ。ああ、本当に社会人になったんだなあとそのとき初めて実感しました。完全に親元を離れられるのもそう遠くないでしょう。それがとても嬉しく、今まで私と一緒に過ごしてくれた長男には感謝の気持ちでいっぱいです。本当だよ。私に親として何をすべきか教えてくれたのは長男なんだからね。私はただそれに従っただけだから。本当にありがとう。