仕事は母ちゃん

どーってことない脳内と日常の垂れ流しです

性愛という欲

今日はシルバーウイーク中日ですが、夫はシルバーウイーク関係なく今日から仕事です。長男もシルバーウイーク関係なく明日から仕事。元々シフト的に土日月が休みなんだよなあ。というわけで長男にとっての休日最終日なんですが、ただいま友達と遊びに出かけております。自衛隊員になった友達がこちらに戻ってきてるそうで「次いつ会えるかわからないから」と連絡が入ると二つ返事で遊びに出かけたというわけです。小学生の頃からの長い付き合いだけど、進む道が違うとなかなか会えないよね。でもそれでも続く友人関係っていいなあと思うさっこさんですこんにちは。私にはそういう友達はいないからさ。

さて、性嫌悪の話題がTLでも駆け巡ってるんですが、正直複雑な気持ちです。こういう輩は女性に近づかないで欲しいというのが正直な気持ちだけど、かけてあげられる言葉が「自発的に女性に近づくな」だけだという自分の残酷さに震える。もし彼が身近にいればできる限り距離を置くしかない。救う気なんて欠片もない。本当に残酷。まあ誰しも我が身が可愛いと言えばそれまでなんだけど。

彼とは全く事情が異なるけど、私も性愛絡みで非道を働いたことがあります。以前にも書いたけど、大昔付き合って欲しいと言われたことがあって、デートをしたことがあります。それ以前に交流があって誠実で悪い人じゃないのはわかっていました。だからとりあえず付きあってみるかと思ったけど、相手が私の関心を惹こうとしてることがものすごく伝わってきて、それが私にとってはダメだったのです。相手が自分に性愛的な期待をしてるのが伝わってきて。といっても彼はものすごく積極的にべたべたしようとしたわけじゃなく、私に気を使って優しく振る舞っただけです。

次のデートの約束を取りつけると彼は私を自宅の最寄り駅まで送ってくれて別れたのですが、私は次のデートが重荷で重荷でしかたありませんでした。しかし断ったら何をされるかわからないという恐怖があってその場で断れなかった。断ってもしつこくまとわりつくような人ではないと頭ではわかってたんですが、彼の期待値が高いことも同時に感じていて、それがとても恐ろしかったのです。

そして私が最終的に取った行動は、デートをすっぽかすことでした。30年前のことですから携帯もないですし、彼から自宅に電話がかかってきました。電話に出た私は何も言わずに電話を切りました。そして彼と一緒に所属してた勉強会に二度と顔を出さなくなりました。怖くて彼と顔を合わせる勇気が全くなかったのです。それ以来、彼とは一度も会ってません。

当時は怖くて、どうか彼が連絡してこないようにと祈るような気持ちでしたが、今にして思えばこれほど非道なことはない。自分でもどうにもならないこの気持ちを説明してもわかってもらえないだろうと思って逃げ出したんだけど、理由なんて説明しなくても「恋人として付き合う気持ちにはなれない」と言うだけでよかったのに。当時の私にはそれがものすごくハードルが高かったわけですが、言い訳にはなりませんよね。誠実とも言える彼の振る舞いに対してこの仕打ちはやはり非道には違いないのです。

性愛というのは欲の一種だと思います。その欲が誰にでもあって同じぐらいの強さならいいのですが、人によって強弱があったり向かう方向が違っていたり、そもそも性愛がわからない人もいる。そこに齟齬が生じるのは仕方ないし、いくら言葉を重ねても自分と異なるパターンの欲を持つ人を受け入れられない人もいるでしょう。それでも伝えなければ何もはじまらない。でも伝える勇気はない。だから他人と距離を置く方向に傾きました。あまり親しくならないように。余計なことにわずらわされないように。

で、性愛に関わるセックスについてですが。わかりやすく例えるとアルコールを受け付けない人が親交を深めるためにと飲み会にしつこく誘う人が理解できないのと似ています。親密なコミュニケーションにどうしてもセックスは必要なものなのか?という認識です。それは今でもあまり変わってません。

では何故結婚して子を成すことができたのか。見合いという出会いだったのでお付き合いをする=結婚を視野に入れる、というのがはっきりしていたのが良かったんじゃないかと。仮に付き合うことになっても恋人という曖昧でふわふわした関係にはならないという安心感。今まで全く付き合いがない、つまり何のしがらみもないので断るのも簡単だという気楽さもあったと思います。

子供については夫が望んでたし、セックスしないと子宝を授からない以上、必要なものだと理解して受け入れました。性嫌悪があったわけじゃないですがセックスの必要性を感じてなかったのは、本当に必要なものか疑問だったのが大きかったですから。コミュニケーションとしてはかなりリスクの高いものだという認識だったのもあります。そして子を成してもいいという関係上であればコミュニケーションとしてのセックスも受け入れられるようにはなりました。とは言え、自発的にコミュニケーションとしてのセックスを求めたことは一度もありませんが。求めに応じることができるようになっただけの話です。それでも昔の私からは考えられない変わりようですが。

ぐだぐだと余計なことまで書き連ねましたが、今でも私の中で若い頃の自分の言動が心に刺さったままちくちくと痛むという話でした。先方はそんな昔のことはすっかり忘れて、幸せに暮らしてるのかもしれませんけどね。