仕事は母ちゃん

どーってことない脳内と日常の垂れ流しです

自分に母性があるとは思わないけれど

先日、家族に全部朝ご飯を食べられて自分は食べ損ねてしまい、午前中買い物を終えた帰りに「そう言えば月見バーガー食べてなかった」とマクドナルドに寄ってきたさっこさんですこんにちは。うちの市にマクドナルドは1軒しかないので、マクドナルドは貴重な存在なのです。うどん屋はいっぱいあるんだけどねぇ。で、店内でメニューを見ようとしたら「お子さんが大きくなってひとりでゆっくりできますね」と店員さんに声をかけられました。その店員さん、長男が幼稚園児の頃からずっとここのマクドナルドの店員さんでして。息子達が幼い頃は「ハッピーセットのおもちゃ欲しい!」とねだられてよく行ってたんですよね。まあ3人も4人も子供を連れて、しかも全員男の子となると目立ちまくるので嫌でも顔を覚えられてしまったってわけです。今はハッピーセットとは無縁になったので、四男ですら連れて行くことはなくなったんですけどね。しかしマクドナルドで顔覚えられるとかなんとなく恥ずかしい…。

そんな懐かしく恥ずかしい思い出に浸りながら読んだのがこちらのエントリーです。とってもきれいな文章だし、私にはなかった感情なので興味深く読ませていただきました。でもこれが父親と子供の関わり方なのかもしれないなあと。夫も長男が産まれたときは、毎日産院に来ては長男を抱っこして顔を眺めながら幸せそうな顔してたからなあ。

では私はと言いますと。初めて長男を抱っこしたとき、あまりにも小さくか弱い生き物すぎて震えました。この、弱々しく手足を動かすことしかできない生き物を一人前に育てあげなければならないという現実がひしひしと迫ってきて。この何もできない生き物の前で、自分があまりにも強大な存在なのだと自覚してしまって。長男を産んで、私は強大な力と重い責任を背負うことになったのです。

そんなわけで、我が子が可愛いと思うよりも責任感に押しつぶされそうになりました。目の前の生き物が成人するまでの時間が途方もなく先のことのように思えたし。夫をはじめ、周囲の人々は私を支えてくれましたが、責任感からは逃れられようがありません。そして1歳を過ぎ、次第に自己主張をするようになってくると、長男のちょっとしたワガママや失敗にイライラするようになりました。そんな長男に声を荒げては自己嫌悪するという繰り返しで、本当に可愛いと思える余裕がなかったのですよ。可愛くないではなく、可愛く思えない。

しかし息子達が次々産まれ、成長し、自分の世界を持ち、対等に話し合えるようになりつつある今、本当に可愛い。そして楽しい。長男が産まれたあの日から、お互いにぶつかり、悩み、協力しあいながら家庭を築き上げてきた。その長い長い積み重ねをもって、ようやく息子達と気負いなく向き合えるようになったんだと思います。

というわけで、私に母性というものがあるとは思わないけれど、息子達という戦友は手に入れたんじゃないかな。同じ釜の飯を食い、いがみ合うことがありながらもお互いを認めあう、そんな関係。親子でなければ一生付き合うことはなかったであろう彼らと長く共に暮らすことができたのは、家庭を築くという戦いがあればこそなのです。だから戦友。いずれ息子達はこの戦線を離脱し、別の戦いに身を投じるのでしょう。そのときは「頑張ってこいよ」と背中を押してあげたいし、顔を合わせる機会があれば「おう、元気にしてるか?」と声をかけたいと思ってます。