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仕事は母ちゃん

どーってことない脳内と日常の垂れ流しです

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会話中、私の脳内でおきていること

いろいろ 自分のこと

今日も次男の部活で送迎してきたさっこさんですこんにちは。次男の部活がどんなものかというと、小学生を対象に科学の面白さを伝えるという活動で、事前準備も教えるのも結構大変な部活です。で、この前部活で小豆島まで遠征して子供達の前で自己紹介をしたそうなんですが、5年生ぐらいの女子が挙手して「お兄さん達、彼女いるんですか?」と質問してきたそうですよ。おい残酷なことを聞くな。高専生だぞ、高専生…(お察しください)。しかし子供は遠慮など欠片もない質問してくるな。大体、活動の趣旨と全く関係ない質問するんじゃない!

こうやって夫や子供達など身内と会話するのはまあまあスムーズにできる私ですが、他人となるとこれが大変疲れてしまいます。あ、大勢いる場所で皆が会話してる様子を眺めてるのは苦になりません。むしろ好きです。自分が会話の輪に入るのがしんどいのですよ。その理由というのが恐らく多くの人からするとあり得ないと思われそうなものでして。

まず、耳から入ってきた言葉を文章にします。その文章を映像化してようやく内容を認識するのです。どういうことかというと「お盆休みに家族でどこそこへ行ってこんな体験をしてきた」という話を聞くと、その状況を脳内で映像化して理解するのですよ。連絡事項を交わすような目的がはっきりしてるものだと大丈夫なのですが、雑談だと大体このような手順を踏むことになります。だから会話の流れが早いときは、内容が全部頭に入ってきません。ただ、文章は頭の中に残ってるので、後から映像化してすとんと理解することは可能です。タイムラグがあるんですよね。よって適切なリアクションを所望されても非常に困ります。相槌を打つか、ニコニコして聞いてるぐらいしかできないんですよ。ずっと笑顔を張り付かせることになるので、会話が長引くと後でどっと疲れます。会話してる様子を眺めてるだけなら、のんびり理解すればいいので問題ないんですけどね。

ではTwitterのような文字だけのコミュニケーションだとどうなるか。私の場合、文字が目に飛び込んできた時点で映像化されてるんですよ。文章を読んでいるという感覚はほぼありません。テレビ番組の実況に参加することがありますが、いつも字幕を表示させてます。これは会話だと拾えない情報を字幕で拾うためです。字幕がなければ実況に参加するなんて私には無理。映画で吹き替え版と字幕版があると、字幕版を選んでしまうのはそのためです。息子達が生まれてからは息子達に合わせるので、どうしても吹き替え版を見ることになってしまいますが…。

というわけで、SNSでやりとりするのは私にとって大変楽なのです。Twitterだと実況しながらTL読みながらリプライする、なんてことも余裕でこなせます。これが会話でできるようになれば…。でもこの年になってもできないんだから、一生無理だろうなあ。スムーズに会話できる人が羨ましいや。