仕事は母ちゃん

どーってことない脳内と日常の垂れ流しです

変わらない人、変わりたくない人

今日は所用があって車で片道1時間ちょっとかかる県庁所在地まで出かけてました。雨が降ったら慣れない道なので運転嫌だなあ…と思ってたんですが、なんとか雨が降らずに済んでほっとしたさっこさんですこんにちは。それにしても折角遠出したのに時間の関係でとんぼ返りだったので残念だわ。まあ仕方ないんだけど。

さて、昨日書いたエントリーですが、その後でこちらの記事を見つけました。なんで書く前に気づかなかったんだろう(;´Д`)これを読んでからTwitterでこんな感想を書きました。

それに対してこんなことをツイートしてる方が。

恋愛についてはさっぱりな私ですが、どうやらそう外した感想じゃなかったようです。

私が思うに、結婚して家庭を持つと、人は変わらざるを得ないと思うのですよ。パートナーがいれば独身のときのように気ままに動けなくなるし、子供が誕生したら尚更そうなるでしょう。家庭に自分を適応させないと家庭が家庭として機能しなくなり、結果的に居心地が悪くなって日々の暮らしが苦痛になってきます。

ところが弘兼憲史は変わらない人なんでしょうね。いや、変わることができない、と言ったほうがいいでしょうか。そんなおおよそ結婚生活に向いてると言えない彼を柴門ふみは好いている。それは彼女にとって「変わらない人」が魅力的だからなのでは、と推測しています。

先日のエントリーで紹介したマンガの主人公は変わることを拒絶する気持ちが強いが故に自分を変えてしまった夫を、子供を嫌悪してるとも言えます。変わりたくない、変えたくない。ずっと自分の思うがままに生きていきたい。そして主人公が柴門ふみの自己投影の産物だとすると、弘兼憲史という「変わらない人」は非常に魅力的で憧れの存在ではないのか。

私から見ると、柴門ふみのように自活できる人が夫として父親として役に立たない相手と何故結婚生活を続けるのか疑問に思ってしまいますが、彼女は女として彼に魅力を感じていて、彼を手放したくないから婚姻という契約で彼を縛り付けていたいのかもしれません。弘兼憲史が「離婚だけはしない」というのも、彼女が一番の理解者だと思ってるからなのかもと。

あくまでも推測ですし、もっと別の理由があるのかもしれませんが、なんにせよ35年も連れ添って「いい人」と夫を持ち上げる彼女は、昔はともかく今は幸せなんでしょう。幸せだからこそ過去のことを語る気になったのかもしれませんね。