仕事は母ちゃん

どーってことない脳内と日常の垂れ流しです

日常にも禍根を残す戦争

今日は午前中、三男は他校で部活の交流試合があり、四男は地元の人とのふれあい学習でちぎり絵の講習がありました。私の身はひとつしかないので、四男の送迎は長男に頼み、私は三男の送迎をしました。いやー、上の子が大きいと何かとたすかりますなあとしみじみ思うさっこさんですこんにちは。上の子達が小さかったときは夫に仕事を抜けてもらわないといけなかった案件ですわ。

さて、三男を連れ帰って家事をこなした後、こちらのまとめを拝読しました。まとめの趣旨がいまいちわからないのですが、まあそれは置いといて。私自身は50歳ですから当然戦中や戦後の混乱期は経験してません。しかし親世代は戦中生まれ、祖父母は戦前生まれですから、体験談としては今よりは耳目にしやすかったかと思います。とは言え、義父(シベリア抑留経験者)はあまり多くは語らず亡くなったので、実際その時、その場にいた人でないとわからないことは多いのでしょう。

戦争の話については以前にも書いたことがあるのですが、実母が亡くなったばかりだということもあるので、母方の戦後の話でも書くことにしますか。

母方の祖父は農家出身ではありますが警官でした。その祖父も戦地に赴いてます。いつ頃だったかは詳しく聞いてないのですが、母方の叔母が誕生した時期を考えると、かなり末期の話です。祖父は戦地から帰ってきたものの、体を壊してあまり動けなくなってしまい、警官の仕事はできなくなってしまいました。実母から聞いた話からの推測ですが、PTSDの症状も出ていたようです。そして30代の若さで亡くなってしまいました。

一方、母方の祖母は早くに両親を亡くしていたものの、かなり裕福な家庭の出身。当然農作業なんてしたこともなく。そうでなくてもほとんど手作業だった昔の農作業をこなすのは、ある程度集落の人達が協力してくれるとは言え相当大変だったと思います。しかもその程度で3人の娘を養うのは厳しく、農閑期には缶詰工場で働いたり男性でもきついような肉体労働もしていたそうです。

祖父は戦死こそしてませんが、戦争の犠牲者と言ってもいいでしょう。そして戦争がきっかけで夫を、父親を亡くし、貧困生活を余儀なくされた祖母や実母も。率直に言って、祖父はまだ戦死したほうが良かったのかもしれません。母方の祖母も実母も、多くは語りませんでしたが、生きて帰ってきたことで白い目で見られていたようなのです。父方の祖母は控え目に言っても実母をあまり快く思ってなかったのですが、その原因は母子家庭出身だとか貧しい家庭で育ったというのもあるのでしょうけど、母方の祖父のことも関わってたんじゃないかと推測してます。母方の祖母が肉体労働という男性に混じってする仕事をしていたのもあったかもしれません。要するに女だてらに…というやつですね。無論、孫の私に直接そんな心の内は話してませんが、彼女の性格からそんなところかなと。

人間がいる限り、戦争はなくならないのかもしれません。仮に戦争が全くない世界が実現したとしても、父方の祖母の偏見のようなものが何らかの形で生み出されるのではないか。そんなことをつらつらと考えてます。