仕事は母ちゃん

どーってことない脳内と日常の垂れ流しです

暴力を振るわずに我が子をコントロールする母親

なんか余程疲れていたらしく、昼から少し家事をこなした後寝てしまってました。やっぱり年かな…と思うさっこさんですこんにちは。日曜日小学校の参観が8時半からスタートでお弁当も作らなきゃならないんだけど寝坊しないかどうか心配でござる。

さて、昨日こちらのエントリーを読ませていただきました。「めんどくさい」という感想が多いようですが、私はそんな感想よりも恐怖に打ち震えてしまいました…。気質が実母に似てるんですよ。

実母はとにかく自分が思ってるように私が反応しないと気がすまないところがありました。彼女は決して怒ることはなかったんですが、大袈裟なまでに嘆き悲しむんですよ。「私の育て方が悪かったからこんな子になってしまった、ごめんねごめんね」と。これを毎回やられると相当堪えます。彼女の意に沿う反応をしないとこんな小芝居を延々と見せ続けられるわけで、そうなると「自分はお母さんの思ってるような子じゃないから悪い子だ」と思っちゃうじゃないですか。子供なんて単純なもんで、心のどこかで「親に好かれたい」と思ってるものですから、常に実母を観察してどんな反応をすれば彼女の意に沿えるかに全神経を集中させるようになりました。

つまるところ、わたしが求める「一生懸命な推察」は、わたしに対する情報収集なしには成立しません。わたしに何一つ質問しないまま脳内でああでもないこうでもないと考えるのも、わたしに明示的かつ具体的なただひとつの回答を求めるのも、どちらも知的な労力をケチっています。わたしが察してほしい時は労力そのものを求めているので、どちらの対応もわたしの望まないものです。「何かしてほしいことがあるならはっきり言え」と言われましても、言われたことだけしかやらないロボットと付き合いたい訳ではありません。

「察してほしい」の取扱説明書 - エルの楽園

エントリーにはこう書かれてますが、実母は暴力を振るわず、言葉で直接責めることもなく私を「一生懸命な推察」をするように仕向けていたわけです。子供にとって親は自分の世界を司る要みたいなものですからね。親の意向に従おうとするのは自然なことです。こうして私は自分以外の人間と接するためには実母と接するような手順が必要なのだと思い込むようになりました。話し合って関係を深めていく、という発想は全くありませんでした。

当然全ての人とそんな風に接するなんてキャパオーバーなわけで、自然と人との接触を避けるようになってきました。自分からしゃべりかけない、嫌なことをされても黙って耐える。何が原因で相手のご機嫌を損ねるかわからない、だったら火に油を注ぐような真似はしないようにしよう、と思うものです。

大人から見たら「大人しい子」としか映らなかったでしょう。しかし他人との接触を避けるというのは他人を粗末にしてるということでもあります。要は「お前とは関わるつもりがない」と宣言してるようなものですからね。当然周囲がいい顔をするわけがありません。おそらく「生意気」「鬱陶しい奴」と思われていたでしょう。いじめられたことがありますが、そんなところも原因のひとつだったんでしょうね。

そんなわけで自らぼっちになることを選択した私ですが、大人になって上辺の付き合いだけはまあできるようになり、なんのかんのあって結婚して子供を成すこともできました。それでもやっぱりまだ他人は怖いですね。長い歳月をかけて染みついた恐怖をぬぐい去るにはその何倍もの歳月が必要なものです。

そしてさらなる恐怖は子育てするにあたって私が無意識に実母と同じことをしてるんじゃないか、ということですが。これはちょいちょい自覚がありました。そりゃあ子育てなんて自分の親しかロールモデルがいないわけで、影響が出ないわけがないんですよね。ただ、夫がすぐにそういうのに気づいて息子達を遊びに連れ出したり私を諭したりしてくれたので影響は最小限で済んでると信じたいところですが、それがわかるのは息子達が親になってからの話なのでどうなるかわからないです。