仕事は母ちゃん

どーってことない脳内と日常の垂れ流しです

子育てをしてこれた理由を考えてみた

午前中、運転しながらラジオから流れるリスナーからの投書を聞いてました。その中に「中学時代、好きだった先生がいて(あくまで先生として)卒業後も年賀状のやり取りなどをしていたんだけど、卒業から10年後に『一緒に食べに行かないか』と言われて食事を済ませた後『ずっと好きだった』と告白されてショックを受けた。それからメールも着信拒否にしてずっと会っていない」というのがありました。「好き」に温度差があるとこういうこともあるのねぇと思ったさっこさんですこんにちは。先生として好きだった人から男性としての生々しさを感じてショックを受けたんでしょうね。どちらが悪いってわけでもないんだろうけど、先生も多分ショックだったんだろうな。お互いに気の毒だわ。

さて、話はガラッと変わりまして。今朝こんなツイートをしました。

これに対してこんなエアリプライをいただきました。

で、仕事の場合は関わる人がプロに限られていて一蓮托生なので周囲の意見がまともであることが多いの部分なんだけど、子育ての場合だと一蓮托生な人って夫だったり妻だったりするんじゃないのかしら。また、プロとは言えないけど子育ての先輩は身内にもいるわけです。それなのに何故まともな意見がないと思ってしまうのか…という話になってくるわけですよ。

そこで自分自身が長男が幼い頃どうだったかを振り返ってみました。まず夫は甥や姪の子守りをがっちりやってきてる人だったんですが、私の長男の扱いに対してほとんど口を出しませんでした。恐らく相当危なっかしかったりひやひやしたと思うんですが、決してああしろこうしろとは言わなかった。しかしここぞというときは素早く手をさしのべてくれました。あれは私の親としての成長を見守っていたのではないのかな、と今になって思うのです。どんなに危なっかしくっても、経験させないといつまでも未熟なままですからね。

夫の両親や義兄、義姉達は本当に長男を可愛がってくれました。お邪魔すると子守りをしてくれたり私を寝かせてくれたり。長男が平均よりかなり小柄なことを気に病んでいた私ですが、それに対しては一切口出しせずに長男ができたことをほめてくれたり、私の愚痴まがいの話を聞いてくれたりしました。そして必ずと言っていいほど私に労りの言葉をかけてくれました。で、たまにアドバイスをしてくれる。こうして私は精神的にかなり助けられていたのですね。夫は黙って私を影からサポートし、その他の人達は精神的な支えになることに徹してくれていたわけです。そう考えるとかなり恵まれた環境だったんだなあとあらためて思います。夫をはじめ、夫の両親や兄弟には感謝してもしきれません。

しかしこれというのも私が彼らを信頼していたのと、彼らが私や長男のことをとても気にかけていたのがとてもよくわかるからこそ、すんなり受け入れられたのかもしれません。そうしてすんなり受け入れられた結果、ある程度冷静さを保って判断できたんでしょうね。親子関係はどうしても距離が近すぎて肝心なことが見えなくなる場合が多々ある気がします。その距離を適度に保つためにも周囲の協力は欠かせないんだろうなと。で、適度な距離を保てると、アドバイスの取捨選択もできるようになるのでしょう。

というわけで、私の場合は

  • 多くの人に我が子と接してもらい、助力やアドバイスをもらった
  • 不安を煽るようなアドバイスをする人があまりいなかった

というのが大きかったのかな。我が子の日常的な言動をよく知らない人のアドバイスなんて参考にならないからこそ、我が子と接する人はできるだけ多いほうがいい。それも自分や我が子にとても気をかけてくれる人でなおかつ自分が信頼してる人であればなおいい、ということに落ち着くかと思います。

ま、子育てに向いていたら周囲の協力がさほどなくてもきちんと乗り切れる人もいるんでしょうけど。私は自分で言うのもなんだけど、全く子育てには向いてないと思います。夫と性別が逆だったら夫は私よりずっと良き母になってたろうけど、私は家庭を顧みない父親になってたかも。そう考えると性別が逆でなくて良かったのかもしれません。