仕事は母ちゃん

どーってことない脳内と日常の垂れ流しです

縄跳び大会とその感想

今日はバレンタインデーですね。三男曰く「今日は最悪の日」だそうです。ぶつぶつ文句を言いながら「中学生のときに付きあいだしたっていつかはふられるんやから恋なんてもうしない」とのたまってます。まあ…お前恋が成就したことなかったもんな…。しかし諦めるのが早すぎやしないかと思うさっこさんですこんにちは。まあするもしないも強制しないけど…というか母ちゃん自体恋なんて知らんのやけど。

さて、昨日の話ですが。次男を高専の寮まで迎えに行ってから小学校の縄跳び大会を見に行きました。その後に学級PTAがあったので、どうしても行かなきゃならなくてね。その縄跳び大会で何をやるかといいますと。ひとつ目は個人競技。5分間に指定された跳び方で何回跳べるかを競います。失敗したら失敗したところから跳び直す加算方式です。これは残りの競技も同様のルールです。二つ目はリレー。指定された跳び方で30回跳んだら次の人に回す、というルールになってます。最後が長縄跳び。6つのグループに分かれて、何回跳べるかを競います。

で、四男のグループを見ていたら、タイミングを合わせられなくて上手く跳べない子の背中を跳べる子が押して跳べるようにしていたんですよね。恐らく子供達が練習している中で編み出した方法だと思います。全てのグループがそういうやり方をしてたわけじゃないので。なかなか考えるものだなあと感心しながら見てました。これなら怖くて跳べない子も跳べるよなと。

そんな感想を抱いた翌日、目に入ってきたツイートがこちらです。

私も運動が苦手だったし、できないことで責められた経験はあります。でもそこで終わってしまうような指導しかされてなかったから責められちゃったんだろうなと昨日の子供達の様子を見て思ったんですよ。

できない子はどうしたら上手くできるか教わる。できる子はできない子に助力する。そうやって協力し合うことを教えるのがこういう団体競技のいいところなんじゃないかなって。誰だって得意なこと、不得意なことはあります。それをカバーし合うことを教える良い機会だと思うんですけどね。そういう機会を潰してしまうと、今流行りの「自己責任」という結論にいきついてしまう。まだ柔軟な小学生のうちに助けあうことを教えるのは大人としての努めなんじゃないでしょうか。

家庭だって仕事だってそうです。お互いにできないことカバーしあって成り立ってるんじゃないのかな。社会生活をする上で非常に重要なことですよ。学校が勉強を教えるためだけにあるのなら、別に学校なんて要らないんですよね。家庭でネットを使って授業を受けたらいい。できる子はどんどん学習を進められるし、できない子は何度も同じ授業を受けることで取りこぼしなく次の単元に進むことができるんですから。集団で授業を受ける意味はあまりない。学校では学校でしか学べないことがあって、だからこそ学校は必要なんだと思ってます。