仕事は母ちゃん

どーってことない脳内と日常の垂れ流しです

誰もが優しくできるわけじゃない

今日は昼から降水確率が高かったので降るかなあと思ったらまだ降ってこない。ひょっとして明日の朝降る?それはそれで登校する息子達が可哀想だから勘弁して欲しいなあと思うさっこさんですこんにちは。学校が近ければいいんですけどね、田舎は遠いから。一番早い四男で7時5分前、一番遅い長男でも7時15分には出発しますからね。全然降らないのも困りますが、登下校時間にはできるだけぶち当たって欲しくないという親心。過保護かなやっぱり…。

さて、昨日Togetterでこんなまとめを読みました。

これを読む前に、湯船に浸かりながら昔のことを思い出したんですが、それとなんとなくリンクするのでつい最後まで読んでしまいました。

で、思い出したことなんですが。まだ私が大阪で会社員やってた頃の話。乗り替え駅で同僚と別れて電車に乗ると、ちょうど全員座れるだけの余裕がありました。その駅から各停に乗る人は急行に乗る人よりは少ないのと、高校生の下校時間から外れてることもあって、定時上がりだとそんなに混まなかったんですよね。

そんなわけで座って乗っていると2駅目ぐらいでかなり高齢の男性が乗ってきました。席は塞がってましたが、私の隣りに座ってる女性が少し詰めたら高齢男性は座れそうです。しかし女性は席を詰めようとしない。仕方なく私は席を譲りました。後10分もすれば目的の駅に到着するし。

さて、皆さんは私のことをどう思いますか?まず、高齢男性に席を譲らなければと思ってますが、別に彼が「席を譲ってください」と頼んだわけでもありません。もしかしたら譲ろうとしても拒絶されたかもしれません。要は席を譲ることで「若いのに座ったままの自分に向けられる彼の視線」を避けたかったのです。

そして席を詰めなかった女性に対して「席を詰めて座らせてあげること」を心の中で強要しています。ひょっとしたら何かしら身体的な事情があるのかもしれないし、そもそも席なんて譲る気がないのかもしれない。席を譲ることを求められてない以上、どうするかは彼女の勝手です。それなのに席を詰めて欲しいと願ってた。そうすれば自分も座ったままでいられるからです。本当に座らせてあげたいなら、最初からすっと席を譲ればいいことなのにです。

つまり、席を譲るためのコストをできるだけかけずに座らせてあげて罪悪感を解消するという見返りを期待してたんですね。まあほめられた態度じゃありません。自分でもかなり利己的だよなあと思います。他人がどういう態度を取ろうが関係なく、自分が譲る譲らないの問題だけなのに。

ただ、優しさにせよ親切にせよ善行にせよ、人によってさらっとできる範囲は異なってくると思うんですよね。余裕がないと優しくできない。たとえば飢えてやせ細ってる人に「あなたの持っているパンを恵んでくれませんか」と言われた場合。懐に余裕がある人ならパンをあげられるでしょうけど、そのパンをあげてしまったら今日自分が食べるものがなくなってしまうぐらい貧乏だとためらってしまうでしょう。今まで自分につらく当たっていた人に言われたら、何が何でもあげるもんかとなってしまうかもしれません。つまり余裕がない人にとっては優しくすることはかなりコストがかかるわけです。

無論、余裕がなくても優しくできる人はいますし、そういう人は強いと思うし尊敬もします。でも誰もができることでないですからね。優しさを強要することはできないし、優しくしようとして拒絶されたとしても相手を非難することはできない。そんなところじゃないでしょうか。