仕事は母ちゃん

どーってことない脳内と日常の垂れ流しです

社会に優しくされたいなら社会に優しく

朝ドラ「マッサン」が期待以上に面白いんですが、異人のお嫁さんであるエリーが尋常じゃないぐらい可愛い。片言日本語も健気さも何もかも可愛い。なにこの癒し。そんな可愛いエリーを見てたら、ジェーニャも日本のドラマに出てくれたらいいのにと無茶な想像をするさっこさんですこんにちは。でも日本のテレビ番組にこの格好で出るみたいだから期待してるね!

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さて、話はガラッと変わって昨日から話題になってるこの記事。

ベビーカーについては他の方々がいっぱいエントリー書いてるので私が書くことはないんですが、それとは別にこんなことを考えてました。

何度か言ってるけど、私は我が子と言えども社会からの預かり物だと思ってます。私は産ませてもらえた、そして育てさせてもらえてるラッキーな人間なのです。子供を持てるのは勝ち組、みたいな言葉を見かけますが、これは子供を産み育てる幸運に恵まれたという意味では正しいと思います。だから少しでもこのありがたい役目を引き受けさせてもらえた恩返しを社会にしたいと思ってるし、そういう想いがあるから地域の活動にも積極的に参加してきました。そういうの、本当は苦手だけど。

そうやって親としての立場で社会と関わることで、子供達も自然と社会に受け入れてもらえると思ってます。全く子供と関わりない生活をしているのに子連れに優しくしろと言われてもどう優しくしていいのかわからないじゃないですか。それぐらい自分が子供だったのにわかるだろ?という人もいるかもしれませんが、少なくとも独身時代の私にはわかりませんでした。だって大人に優しくされた記憶なんてほとんどないですもん。嫌なことされた記憶ならいっぱいあるのにね。

また、子供と縁のない人の中には子育て中の親だけが固まって会話してるのをみて疎外感を覚える人もいるんじゃないでしょうか。見えない壁にぶち当たるような。口出ししたくてもできない雰囲気だったり。そういう雰囲気が手助けしたくてもできない人を生んでるようにも思う。そういう見えない壁を親のほうから崩していかなきゃならないなあと思うのですよ。

さらにいうとタダで優しくしてもらえると思うのも虫が良すぎると思います。助けてもらったのはいいけどお節介な一言を投げかけられるかもしれない。しかしそのお節介も助けてもらったことと同様、相手にとっては善意です。すべて真に受ける必要はないですが、その気持ちだけはありがたく頂戴するだけのゆとりは持ちたいものです。

ともあれ、何も言われなくても子連れに優しくできる人は素晴らしいと思うし、そういう人ばかりなら勿論ありがたいと思います。でも優しくしない人を叩いたら世の中優しい人で溢れるかというとそんなことは決してないでしょう。優しくしてもらいたいなら自分も優しくなるしかないのです。世の中、自分が与えたものと同じぶんだけしか自分に戻ってこない、そう思ってます。