仕事は母ちゃん

どーってことない脳内と日常の垂れ流しです

腐っていく家庭と逃げ場のない子供達

10月に入って最初の週末。今回はこれと言って予定はないんですが、来週は…。祭りだワッショイ!ということで地元のお祭りです。四男がお祭りに参加するので、朝から着物の着付け、若衆の食事の支度、それと並行して自分ちの家事もあるし、もうマジで死ぬ気で頑張らないとタスクを片付けられないのであります。ああ、こんなとき同居なら家事はやってもらえるのに…と愚痴っぽくなるさっこさんですこんにちは。後は雨が降らないことを祈るのみなんだけど、予報では来週末天気悪そう?やめて…雨降ると余計仕事が増えるんだけど(泣)

さてさて、先日こんなニュースが流れてましたね。

高2「しつけ厳しく」…虐待通報も 母と祖母殺害容疑:朝日新聞デジタル

これを読んで思いだしたことがありました。夫が語ってくれた夫が子供だった頃の話です。

悪さをした夫が義父にこっぴどく叱られ、それでも謝らないので外に引きずり出された夫は木に縄でくくりつけられて放置されてしまいました。しばらくすると近所のおばちゃんが夫に声をかけてくれました。

「おばちゃんが一緒に謝ってあげるからお父さんに謝りな」

そう言うと、おばちゃんは縄をほどいて夫の手を引いて家に連れ帰ってくれました。そして義父に「もう十分反省してるから許してあげて」と頭を下げてくれたそうです。

そして今の時代。もし同じことを目撃したら、大人はどうするか。心優しい人で児童相談所に通報してくれる程度で、ほとんどの人は「可哀想に」と思うだけで何も行動を起こさないのではないでしょうか。

別に今の人達が昔より薄情だとは思いません。半世紀程度でそう人の本質なんて変わったりしないものです。ではどうしてこうなったか。地域の繋がりがものすごく希薄になったのが原因だと思うのです。昔は繋がりがあったぶん、お互いに相手の家庭に口を出しやすい雰囲気があった。時にそれは煩わしくもあっただろうけど、家庭の風通しがよくなるという点では非常に効果があったのではと思います。組織というものは外部からのチェックがなければ腐っていくものです。それは家庭とて同じこと。

できるだけご近所と交流しようという意識がある家庭はいいのですが、そうでない家庭は自浄が困難なのではないかと思います。そもそも家庭の問題点に気づかない可能性が高い。気づかないまま家庭環境は腐っていくのです。ゆるやかに。しかし確実に。例外はないと思ってます。

こういう環境で「しつけ」と称する虐待が行われた場合、子供は親の、祖父母の言うことに従わざるを得ない。助けてくれる大人はどこにもいないのです。「可哀想」と思ってくれる人はいても、関わりになって巻き込まれるのが怖くて誰も助けようとしてくれません。子供に逃げ場がないのです。

子供に逃げ場がないということは、親にとっても逃げ場がないということです。子育てのアドバイスを気軽にしてくれる人はいないし、それどころか「好きで子供を望んだんだからしっかりしつけろ」という厳しい視線に晒される。親のほうもそれが当たり前になってるので、仮にアドバイスされても余計なお節介だほっといてくれとなる。こうして親も子も、次第に追い詰められていくのです。

こういうまるで綱渡りのような子育てをせざるを得ない社会では、子供を産み育てるのは非常に勇気が要るものです。親が何もかも背負わなくてはならない。子供も親から逃れる術がない。親子の相性がよければいいですが、こればかりは産んでみないとわかりません。まるでギャンブルのようなものです。

かといって、昔のように地域の繋がりを強くするのは無理があると思います。今は転勤族も多いから誰もが定住するわけじゃない。転勤先で一から人間関係を構築するのは大変な労力です。それを皆に強いるのは難しいでしょう。

そこら辺の問題をどうするか。国が子供を公共施設で一括して育てて親は交流を持つだけの存在にしてしまう、なんていうのもアリなんじゃないかと思ってます。どの親でも祖父母に手を貸してもらえるわけじゃないし、貸してもらったとしても今回のような事件があるとどうしようもない。子育ては親が、家庭がするもの、という常識をぶち破らないといけない時期にきてるんじゃないでしょうか。

ともかく今の社会で子供を育てるのはハードルが高すぎる。お金の問題もありますが、子育てをバックアップする機能が失われた社会での子育ては親にも子にも精神的な負担が大きすぎるのです。