仕事は母ちゃん

どーってことない脳内と日常の垂れ流しです

信じることと期待すること

やっと小学校の運動会が終わったー!しかし疲れた…。親子競技の玉入れから始まって、障害物リレー、三人四脚、綱引き、そして最後の総踊り…。もうくたくただよ…。こっちは年なんだよホント勘弁して欲しいわと思うさっこさんですこんにちは。しかも運動音痴だし…。でもこういう機会があるから年齢の違いを越えて交流を持てるんだけどね。仕事関係でもなく、友達でもない、親子ほど年の離れた人達と気さくに会話できるのってこういうときだけだから。かなりの異空間だよね。運動は苦手だし翌日筋肉痛で大変だけど、なくなったらなくなったで寂しくなるんだろうなあ。

さて、昨日こんなエントリーを読んだんですが、私なりの他人を「信じること」と「期待すること」の意味を書いてみようと思います。

信じることと期待することの他力本願さ - HYLEにっき

私にとって他人を「信じること」というのは、宗教…信仰心に近いものです。相手の存在そのものを受け入れ、そして存在してくれることに対して感謝の気持ちをもつことだと思ってます。つまり自分自身が相手をどう思うか、というものであって、相手がどうであろうとあまり関係ないのです。たとえ相手の気持ちが自分から離れて疎遠になってしまっても、亡くなって永遠に会えなくなってしまっても気持ちは揺らがない。これが「信じること」。

一方「期待すること」とはどういうことか。相手に「ああして欲しい、こうして欲しい」という願望を持つことです。あくまで願望なんですが、長い間相手と接して気持ちが通じ合ってると思うようになるとその願望はかなえてもらえるものと勘違いする。そうなるといずれ「裏切られた」と思うときがくるわけです。当たり前ですよね。相手は自分の願望に付き合う義理などどこにもないし、そもそもそんな願望を抱かれてると思ってもみないかもしれないわけで。しかし思い込みが激しくなるとかなえられないことに激昂してしまうわけですね。

以前にも書きましたが、私は基本的に他人のプライベートに対してあまり関心を持ちません。そんなこともあってあまり期待することはないのですが、稀に期待してしまうことがあります。それが期待通りにならなかったときは「裏切られた」と思うよりも相手に依存してしまってる自分にショックを受ける。そしてしばらくして頭が冷えると申し訳ない気持ちになり、距離を置こうとします。また勝手な期待を抱いてしまわないように。なれなれしくならないように。

「信じること」のほうですが、今のところこれに該当するのは夫だけです。それが良いのか悪いのかはわからないけど、いつでも夫に対しては凪いだ海のように心穏やかでいられます。意見の相違があっても本気で腹が立つことはない。精神衛生上はとてもありがたいことだと思ってます。