仕事は母ちゃん

どーってことない脳内と日常の垂れ流しです

ネットでの死に時

またもや台風が接近していまして、県内でもところによっては大雨・洪水警報が発令されております。ご近所の男性で警報発令中の地域に職場があるため、臨時休業になって仕事休みになったとおっしゃる方もおられたり。こちらの地域は注意報だけで警報は出てないのですが、大雨・洪水・強風・波浪・雷注意報が発令中で、台風関連で発令されてないのは高潮注意報ぐらいというほぼフルコンボ状態です。明日はもっとひどくなるのかな…お盆突入だから墓参りに行こうと思ってたけどこりゃ無理だなとがっかりなさっこさんですこんにちは。何も週末直撃しなくてもいいのに…。ひどいよ。

さて、お盆ということで最近つらつら考えているのがネットでの死に時です。リアルでの死は自殺でもしない限り制御はできませんが、ネットでの死は自分の意思で制御できるわけで。回線切ればネットでの自分の存在はいつでも殺せるのです。

こんなことを考え始めたのには理由がいくつかあります。ひとつは一度に処理できる情報量が次第に少なくなってきたなあ、ということです。文字を目にしてさくさくと頭の中で咀嚼するのが昔よりしんどくなってきてるんですよね。よく考えたら読書でもそうで、20代の頃は一日に5冊ぐらい仕事の片手間にかるく読めてたのが、今は1冊読むのがやっと…という感じで、明らかに処理能力が若い頃より衰えてるんですよね。この状態で膨大な情報が集まるネットを渡り歩くのは結構きついです。取捨選択すればいいじゃないかという話ですが、それだと自分とはあまり関係のない情報に触れる機会を逃してしまう。そういうのがネットの楽しみなのに。そうなると何のためにネットを利用してるのかわからなくなってしまいます。

もうひとつは視力の衰えです。2年前に見えにくくなったなあと思ったら白内障だと言われて両目とも手術したんですが、手術直後はとてもよく見えていたのに最近また視力の低下を感じるようになってきました。視力が低下すれば眼精疲労も頻繁に感じるようになるわけで、以前よりTwitterでのツイートが減ってるのもそれが理由のひとつです。しかしセーブしすぎると次第にネットの利用も億劫になってしまうんですよね。というわけでぼちぼちネットでの死に時を考える時期に差しかかってるのかなあと思うようになったわけです。

とは言ってもネット廃人の私がすぱっとやめられるわけもなく。とりあえずは55歳という年齢をひとつの節目と考えてます。なんで55歳かというと、母方の祖母が亡くなった年齢が55歳だったこと。もうひとつはその頃には四男も中3になるので、ぼちぼち育児からも解放されてやりたいことができるようになるだろうからです。そもそもこんなにネットべったりになったのは、子育て中だと細切れにしか自分の時間を取れないので、細切れでも楽しめるネットが便利だったのもあるからです。しかし息子達が手を離れてしまえば自由ですからね。ネット以外の楽しみを掘り下げてもいいんじゃないかなと思うようになりました。

それに自分が死んだ後、自分が利用してたアカウントを家族に消してもらうのもなんだかなあと思うので。できれば自分の手でアカウントは消したいよねと。それに家族に知られたら「残しておきたい」と思われるかもしれない。そのほうが嬉しいと言う人もいるでしょうけど、私はきれいさっぱり消してしまいたいのですよ。だから自分の目が黒いうちにネットでの痕跡を消しておきたいんですよね。ログはダウンロードして残しておくつもりですけど。

もっとも、55歳までに死んでしまう可能性もなきにしもあらずなので、ひょっとしたらサービス終了までアカウントがずっと残る…なんてことになるかもしれません。まあそのときはそのとき。できるだけそれまでは生きていられるように健康に留意するつもりですけどね。