仕事は母ちゃん

どーってことない脳内と日常の垂れ流しです

「当たり前」の基準

昨日、子供達が七並べをしていたんですが、次男が得意げに「四男をぼこぼこにして勝った」というので、中3が小2に勝ってそんなこと言うとか恥ずかしくないのかよ…と思ったさっこさんですこんにちは。どういうわけかうちの子達、ゲームの勝ち負けにはとてもこだわるんですよね。以前家族で人生ゲームしたときも、ビリになった次男の機嫌がものすごく悪くなって往生したことがあります。誰かがビリになるのは仕方ないやん…。それがゲームやんか、なあ?

話変わって昨日のことですが、Twitterでこんなやりとりをしました。


なんかツイートに誤字があってすみません…。行動成長期ってなんやねん。高度成長期だよ!…というセルフツッコミはともかくとして。二ノ宮さんのおっしゃった「当たり前」の基準。これ大事なんじゃないかなあと思います。少し前にこんなまとめが話題にあがってましたが。

夜中に子供が泣きながら歩いてたので通報したが・・・ - Togetterまとめ

真偽の程は置いといて、これも「当たり前」の基準がないからこその問題だと思うんですよね。

「当たり前」の基準というのは大半の人が同じ方向を向いている、ある程度価値観の共有ができていた時代では「暗黙の了解」というルールとして成り立ってましたが、今は価値観の多様化で基準となる生き方や生活習慣がなくなってしまったため「暗黙の了解」という自然発生的なルールに期待するのは難しい。何らかの形で「当たり前」の基準を作っておかないと、他人は信用できない、助けるのも助けを求めるのも勇気が要る…という窮屈で孤独な社会になってしまうと思うんです。助けようと思っても拒絶されたり、助けて欲しいのに見向きもされない、そんな社会は寂しすぎる。

そういう観点からマタニティマークなどが登場したと思うんですが、まだまだ「当たり前」の基準として定着してない感じ。「当たり前」の基準を作りあげて周知徹底させるにはどうすればいいのか、皆で考える時代になってるのかもしれません。これから大人になる子供達が暮らしやすい社会にするためにも。