仕事は母ちゃん

どーってことない脳内と日常の垂れ流しです

優しくできる社会

次男の友達が高専の学校推薦入試に合格し、「これから入学するまで遊ぶぞ-!」と宣言してるそうです。そうだよね、入寮予定だから入学したらロクに遊べないものね。しかし早くに進路が決まって羨ましいなあ…と思ったさっこさんですこんにちは。次男も高専の一般入試を受ける予定だけど、果たしてどうなることやら…。来年は長男が就職予定なので、こっちも内定もらうまでは胃が痛い日が続きそう…。

さて、そんな子供の進路にやきもきする私の目にとまったのがこの記事。

赤ちゃんにきびしい国で、赤ちゃんが増えるはずがない。 | 境治

要するに「もっと子供に、子育て中の親達に優しい社会となれ」ということなのかなあと思いました。そして優しい社会…というので思い出したのが父方の曾祖母のことでした。

曾祖母は三人の我が子以外に曾祖父(つまり曾祖母の夫)のいとこの子供四人を育てています。曾祖父のいとこ夫婦が早くに亡くなり、残された子供達を引き取って我が子と一緒に育てたのです。曾祖母に育てられた子供達のうち、戦死したり県外に移住した二人は面識がないですが、残った二人とは幼い頃に親族の集まりで会う機会がありました。二人とも「ここのおばあさん(曾祖母)のお陰で大きくなれた。ここの家(父の実家)には足を向けて寝られへん」と言ってました。私自身は曾祖母のことを全く覚えてませんが(何しろ私が乳児の頃に亡くなったので)それなりに優しい人だったんだなあと思ったものです。

で、私が曾祖母と同じことができるか…と言われるとはっきり言って無理です。我が子を育てるだけでもあっぷあっぷしてるのに、他所の子を引き取って育てる余裕なんてありません。もし育児にかかる費用が全額無料になったとしても、引き取りは拒否したいところです。お金を赤ちゃんの横に置いておけばすくすく育つのならいくら引き取ってもかまいませんが、そういうわけにいかない。たとえベビーシッターを雇ったとしても、最終的に子供に責任を持つのは保護者なわけですし。そんな責任を背負い込むのは荷が重いです。

今より手作業が多かった家事をこなしながら農作業に従事し、その上豆腐屋(当時父の実家は豆腐屋も営んでました)の仕事もこなしながら合計七人の子供を育てた曾祖母。どうして曾祖母がそんな大変なことができたのかと言えば、大家族だったのとご近所の付き合いが密だったのが大きいんじゃないかなと思うのです。それと今のように長距離移動をすることがなかったのもあるでしょう。昔は住んでる地域から一歩も出ていかずに生涯を終える人が多かったですからね。娯楽もあまりないし大人になって遊ぶという概念もあまりなかったかもしれない。せいぜい楽しみなのはお祭りや映画ぐらいだったんじゃないかなあと。

また、子育ても結構いい加減でした。私ぐらいの年頃だと、農村では農繁期になるとあぜ道に置かれたかごに寝かされてすごしたものです。子守りは飼い犬が担当。昭和20年代ぐらいまでは農村で靴を買ってもらえる子は金持ちの子供だけでした。子供達は自分でわらじを編んで履いていたのです。大人が編んでくれたりはしません。そしてある程度大きくなると子供は労働力として貢献します。昔の農村では農繁期になると学校は休校になりました。子供達は勉強の代わりに農作業を手伝っていたわけです。子供と言えども無駄飯食いは育ててもらえない、そんな環境でもあったわけです。

何が言いたいかというと、子供に対してかかるお金も手間も昔と比べると増えているし、親達が生活や子供に求めるものもかなり異なってしまってます。子育てへのハードルが昔より上がってるんですよね。だから現状だと「その程度では全然助からない!もっと助けろ!」になってると思うんです。このハードルを下げるのが先決で、ハードルをそのままにして「優しい社会に」と言われても「誰が頼んでもいないのに勝手に産んだやつを助けなきゃならないんだ」と思われても仕方ない面があるかなと。子育てへのハードルが下がれば少しの手助けでも十分になるだろうし、そうなると皆が子育て中の親達に協力できる…もっと言えば他人の子供でも育てていいと思える「優しくできる社会」になるんじゃないかなあ…。

具体的にどうこうっていうのは無学だからあれなんだけど、人口が一極集中しないようにする、通勤時間の短縮、子育て中家庭の転勤をできるだけ減らす、辺りは実施して欲しいところです。なかなか簡単にはいかないと思いますけどね。