仕事は母ちゃん

どーってことない脳内と日常の垂れ流しです

新年に寄せて

新年早々家族揃って映画を観に行ったさっこさんですこんにちは…じゃなくてあけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。映画といっても四男に付き合わなきゃならないので、観たのは「仮面ライダー×仮面ライダー 鎧武&ウィザード 天下分け目の戦国MOVIE大合戦」です。ウィザードパートは相変わらず晴人がヒロイン属性すぎて。攻介は安定の男前っぷりを発揮しておりましたなあ…。それを鎧武パートですっかり流されてしまってこの野郎!って感じでしたが(四男に付き合うといいつつ思いっきり堪能してる48歳)。

さて、新年早々で恐縮なんですが、今日は自分が生まれたときの話をしようと思います。

私が生まれたのは1965年4月8日。その日、大阪は雨が降って4月としては寒い日だったそうです。gooで過去の天気を参照してみたら、最高気温は12.1度、最低気温は6度。なるほど、春の装いより冬の装いのほうがよい気温ですね。

その春としては寒い日の夕方、私は生まれました。実母は助産院で出産する予定だったのですが、予定日よりはるかに早く陣痛がやってきました。そして自宅で、たった一人で出産したのです。これぞ完全無欠の無介助分娩というやつです。当時は今みたいに携帯を持ってるわけでなし、そもそも自宅には電話すらありませんでした。というわけで出産した実母は、そのまま実父が仕事から帰宅するのを待つことにしたそうです。

新生児はまだ体温調節が上手くできませんから、私の体はどんどん冷えていったらしいです。顔が真横に向いていたらしく、耳が折れ曲がってしまったので「この子の耳はこのままになってしまうんだろうか」などと実母は思ったようです。

そして出産から1時間ぐらい経過した頃に実父が帰宅。急いで助産師さんを呼んできて、そこでようやく私はへその緒を切ってもらって産湯をつかわせてもらうことができました。

もし、実父の帰宅が遅かったら。それ以前に泊まりの仕事が多かった実父が泊まりの仕事で帰宅しない日だったら。ひょっとしたら生まれた日に死んでいたかもしれません。まさに生と死は隣り合わせです。

だから私が生きているのはなかったかもしれない時間です。そのなかったかもしれない時間の中で結婚し、出産した。きっとこれは夢。でも幸せな夢。そしてこの夢を本当に命が尽きるまで見ていたいなあと思います。